今朝 母の夢を見ました


母は、今 何処かに住んでいるという情報を聞きつけ


探すという夢


何となく場所が分かるけど、行っても大丈夫だろうか?


母に会ったら、いっぱい聞きたいことがあって


何から聞こうか迷ってみたり


先ずは連絡をした方がよさそうだと電話をかけると・・・


母は


「 炊きたての朝ご飯が今日からいっぱい食べれる!! 」


そう言っているのです


その言葉を聞いて、現実に引き戻され目を覚ましました


時刻は、午前5時25分


母が私を起こす時間です



もう、母はいないんだっ!!と急に涙が出てきました


いつも夢の中でも分かっていることなのに


今日は忘れてました


母が生きていると勘違いしました




私が実家に暮らしていた時は、毎朝 炊き立てのご飯をお供えしていました



引越ししたばかりの時も


朝ご飯がないと夢で言っていました



父親は、朝食を食べず昼は食堂、夜は弁当の生活をしているみたいです


なので、母へは夜のお弁当のご飯が一つまみお供えされているのだと思います


( 引越し作業中、夜 家に帰ると箸で一つまみしたご飯がお供えしてあったので )


同じご飯でも炊き立ての香りを、楽しみたいのかも知れませんね


私も母の写真を飾って、出来たらお水とご飯をと考えているのですが


スペースがなく、実行できてません



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今日は



今日は、母の命日 今年で七回目になります



早いなぁ


もう七年かぁ



私の心の時計は、七年前から余り進んでませんが


生活環境は、昨年からガラリと変わりました


今は、心穏やかに?過ごしています



毎朝 母の形見のぬいぐるみに声をかけてから洗濯物を干してます


寝起きは、バタバタしているので


落ち着いてから声をかけると 何故か洗濯物を干すときなのです



日曜日は



2ヶ月ぶりに母のお墓参りに行ってきました


片道2時間、往復4時間


相方に運転してもらって、鈴ちゃんも一緒に出かけました


2ヶ月ぶりなので、お供えの花も奮発しました^^


春のお彼岸以来 誰も来ていなかったみたいで枯れたお花がそのままに・・・


落ち葉もたくさん溜まっていて


ごめんね


そう言いながら、相方と二人でお掃除してきました



時より吹く風が心地よくて、たくさん深呼吸してきました



鈴ちゃんには、エアコンをかけたまま車中でお留守番をしててもらったので


急いで駐車場に戻って無事を確認



31日は 母の7度目の命日


だから、その前にどうしてもお墓参りに行きたかったのです



今朝、母がいつも私を起こす時間に夢を見ました


母が私の手にそっと何かを握らせたのです


すると、モゾモゾ動くので


「 ぎゃーーーー 」と叫びながら手を振り、虫???を払うと



現実の私の顔の上に何かが落ちてきて目が覚めました


ハッと目を覚ますと、髪留めのゴムが顔に乗っていました


時計を見ると、午前5時30分


朝からなんて夢だ・・・



私を笑わせようとしたのか、驚かせようとしたのか分からないけど


心臓に悪いぞ





午前5時30分は、母が2度目の入院中、毎朝 電話をかけてきて私を起こした時間


だから、私はその時間に目覚めると


母が起こしに来たと思うのです


2月24日は・・・



2月24日は、母の誕生日です


生きていれば61歳になりました


しかし年齢を重ねることは もうありません


どんな61歳になっていたのか想像もつきません


最近 母の夢を見ると


いつも真っ白なワンピースを着ています


毎回 形が違います


会話は ありませんが、微笑んでいます


ほんの一瞬の夢で終わってしまいます


母のことを思い出すと、今でも涙が止まりません


母が倒れてからの5ヶ月間の入院生活は、神様がくれた時間なのだと思っています



代われるものなら代わりたいと本気で思っていました


心臓をえぐられたような痛み


右腕を引きちぎられたような痛みを常に感じながら


母の方が苦しいのだと言い聞かせ


時には、ベッドに体を縛りつけられ自由を奪われた感じを想像し


寝たきりになってしまった母の気持ちを少しでも理解したかった


車いすに乗せ、トイレの前を通過した時


トイレに入りたいと訴えるので中まで行き


便座に座りたいけど、一人では体が動かせず苦しむ母の姿


今でも忘れられません


母の体は、もの凄く重く腕も足も私が両手でやっとの思いで動かせる程度


車いすから母の体を抱き抱えて移動させることは出来ませんでした


寝たきりになり、自分で動かせなくなると


こんなにも重い物なのかと思い知りました


泣きごとは言わない母が、家に帰りたいと言うようになり


車のカギを持って来いとジェスチャーしてました


私が買い物に行くと言うと


一緒に行くからとベッドの上で身振り手振りで伝えてきて


もう少し元気になったらねと言って説得したこと




左腕が動かないと訴えてきた時は、本当のことが言えなかった



あるとき、病院に行くと目を真っ赤にして


心臓が動いていないと言っていた


私は、動いてなかったら会話できないじゃんと言って笑っていると


まだ死にたくないと言った母




陽はまた昇る


開けない夜は無い


朝は、きっと来る


だから、大丈夫と母に毎日 言い聞かせるようにした私



私の心もボロボロだったのかな?


その頃、信頼できる看護師さんに


母を助けてくださいと


泣きながら すがったことがあります


どうにも出来ないこと分かっているのにね



看護師さんに


お母さんに聞こえちゃう!泣いちゃだめよ!!しっかりしなさい


と叱られました




私の中では、母との楽しい思いでよりも


入院中の出来事が今でも鮮明に思い出されます







忘れてないよ



今日は、母の6回目の命日です




10時51分


気付いた時には、11時だったけど


忘れてないよ




6年前の昨日、眠るのが怖いと言って消灯時間が過ぎたので


帰ろうとする私を引き留めた


看護師さんが丁度 来てくれたので お願いしますと言って部屋を出た


翌日は、月曜日


会社に行って、8時過ぎたころ事務所の電話が鳴り


母の容体が悪化したと言われ


急いで病院に行きました


病室に行くと、母のベッドが無く呆然としていたら


リハビリの先生が母の様子を見てきたと、移動先の病室を教えてくれた


その時既に、母は危篤状態だった・・・


昨日は、何でも無かったのに


いつも通りだったのに


なぜ?が頭の中をグルグル


母は、苦しそうに目を見開いていました


私が母に、そんなに目を開けていたら痛くなるよと声をかけると


目を細めました


沢山の看護師さんに見守られながら母は私が着くのを待っていたかのようでした


看護師の方は、家族が来た事を察したんだろうと言ってました



だんだん呼吸も浅くなり、脈も血圧も測れなくて


体温は42℃になっていました



看護師の方も先生も病室を出て私と母を二人きりにしてくれました


そのとき


母に


「 心配かけてごめんなさい。今までありがとう。 」


そう伝えました


その20分後、母は息を引き取りました


母に聞こえたかどうかは、分からないけど


人間の聴覚は最後まで残ると、そのあとTVで知りました



処置が終わるまで、病室の荷物を片付けていたら


看護師さんに呼ばれ


母に、化粧と着替えをしてあげて欲しいと言われ


特別な許可を出していただき


母の体を拭いて、お化粧と着替えを施しました


出来栄えは、涙で全く見えませんでした


そばにいた看護師の方に、良いか悪いか見てくださいと伝えたのですが


返事がありませんでした


男性の看護師の方で、母と仲の良かった人は


母の爪をキレイに切ってくれていたのですが


その方も下を向いたまま黙っていました


業者の方が到着し、病院を出るとき


大勢の看護師さんが最後のお見送りに出向いてくれました


みんな怒った顔に見えたのですが


後から思えば、涙を堪えていたんですね


私は、看護師の皆さんに



「 ありがとうございました 」


と深く頭を下げました


すると、みなさんのすすり泣く声が。。。


私は、母の為に涙を流してくれる方がいる事が


とても嬉しかったのを今でも覚えています



みなさんからは


温厚な方でしたね


と母の事を言ってもらえて、本当に嬉しかった








その頃の私は、神様は何故 母を連れて行ったのだろうと


その事ばかり考えていました


今では、たくさん頑張ったから もう頑張らなくて良いよということなのかと


思えるようになりました