忘れるところだった


2月24日は、母の誕生日

2月23日は、祖母の誕生日



親子で一日違いだったんですよ^^



珍しいと思うのは、私だけ?


カレンダーを見上げるまで、全く思い出さなかったよ



心筋梗塞で倒れた翌日、お腹が痛いって言ってたね


大杉漣さんもお腹が痛かったのは、そうゆうことだったのかな?


あれから10年も経っているんだから、医療はもっと進んでるんだよね


あの時は、なんでお腹が痛いのか分からなかったもんね






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今朝 母の夢を見ました


母は、今 何処かに住んでいるという情報を聞きつけ


探すという夢


何となく場所が分かるけど、行っても大丈夫だろうか?


母に会ったら、いっぱい聞きたいことがあって


何から聞こうか迷ってみたり


先ずは連絡をした方がよさそうだと電話をかけると・・・


母は


「 炊きたての朝ご飯が今日からいっぱい食べれる!! 」


そう言っているのです


その言葉を聞いて、現実に引き戻され目を覚ましました


時刻は、午前5時25分


母が私を起こす時間です



もう、母はいないんだっ!!と急に涙が出てきました


いつも夢の中でも分かっていることなのに


今日は忘れてました


母が生きていると勘違いしました




私が実家に暮らしていた時は、毎朝 炊き立てのご飯をお供えしていました



引越ししたばかりの時も


朝ご飯がないと夢で言っていました



父親は、朝食を食べず昼は食堂、夜は弁当の生活をしているみたいです


なので、母へは夜のお弁当のご飯が一つまみお供えされているのだと思います


( 引越し作業中、夜 家に帰ると箸で一つまみしたご飯がお供えしてあったので )


同じご飯でも炊き立ての香りを、楽しみたいのかも知れませんね


私も母の写真を飾って、出来たらお水とご飯をと考えているのですが


スペースがなく、実行できてません



今日は



今日は、母の命日 今年で七回目になります



早いなぁ


もう七年かぁ



私の心の時計は、七年前から余り進んでませんが


生活環境は、昨年からガラリと変わりました


今は、心穏やかに?過ごしています



毎朝 母の形見のぬいぐるみに声をかけてから洗濯物を干してます


寝起きは、バタバタしているので


落ち着いてから声をかけると 何故か洗濯物を干すときなのです



日曜日は



2ヶ月ぶりに母のお墓参りに行ってきました


片道2時間、往復4時間


相方に運転してもらって、鈴ちゃんも一緒に出かけました


2ヶ月ぶりなので、お供えの花も奮発しました^^


春のお彼岸以来 誰も来ていなかったみたいで枯れたお花がそのままに・・・


落ち葉もたくさん溜まっていて


ごめんね


そう言いながら、相方と二人でお掃除してきました



時より吹く風が心地よくて、たくさん深呼吸してきました



鈴ちゃんには、エアコンをかけたまま車中でお留守番をしててもらったので


急いで駐車場に戻って無事を確認



31日は 母の7度目の命日


だから、その前にどうしてもお墓参りに行きたかったのです



今朝、母がいつも私を起こす時間に夢を見ました


母が私の手にそっと何かを握らせたのです


すると、モゾモゾ動くので


「 ぎゃーーーー 」と叫びながら手を振り、虫???を払うと



現実の私の顔の上に何かが落ちてきて目が覚めました


ハッと目を覚ますと、髪留めのゴムが顔に乗っていました


時計を見ると、午前5時30分


朝からなんて夢だ・・・



私を笑わせようとしたのか、驚かせようとしたのか分からないけど


心臓に悪いぞ





午前5時30分は、母が2度目の入院中、毎朝 電話をかけてきて私を起こした時間


だから、私はその時間に目覚めると


母が起こしに来たと思うのです


2月24日は・・・



2月24日は、母の誕生日です


生きていれば61歳になりました


しかし年齢を重ねることは もうありません


どんな61歳になっていたのか想像もつきません


最近 母の夢を見ると


いつも真っ白なワンピースを着ています


毎回 形が違います


会話は ありませんが、微笑んでいます


ほんの一瞬の夢で終わってしまいます


母のことを思い出すと、今でも涙が止まりません


母が倒れてからの5ヶ月間の入院生活は、神様がくれた時間なのだと思っています



代われるものなら代わりたいと本気で思っていました


心臓をえぐられたような痛み


右腕を引きちぎられたような痛みを常に感じながら


母の方が苦しいのだと言い聞かせ


時には、ベッドに体を縛りつけられ自由を奪われた感じを想像し


寝たきりになってしまった母の気持ちを少しでも理解したかった


車いすに乗せ、トイレの前を通過した時


トイレに入りたいと訴えるので中まで行き


便座に座りたいけど、一人では体が動かせず苦しむ母の姿


今でも忘れられません


母の体は、もの凄く重く腕も足も私が両手でやっとの思いで動かせる程度


車いすから母の体を抱き抱えて移動させることは出来ませんでした


寝たきりになり、自分で動かせなくなると


こんなにも重い物なのかと思い知りました


泣きごとは言わない母が、家に帰りたいと言うようになり


車のカギを持って来いとジェスチャーしてました


私が買い物に行くと言うと


一緒に行くからとベッドの上で身振り手振りで伝えてきて


もう少し元気になったらねと言って説得したこと




左腕が動かないと訴えてきた時は、本当のことが言えなかった



あるとき、病院に行くと目を真っ赤にして


心臓が動いていないと言っていた


私は、動いてなかったら会話できないじゃんと言って笑っていると


まだ死にたくないと言った母




陽はまた昇る


開けない夜は無い


朝は、きっと来る


だから、大丈夫と母に毎日 言い聞かせるようにした私



私の心もボロボロだったのかな?


その頃、信頼できる看護師さんに


母を助けてくださいと


泣きながら すがったことがあります


どうにも出来ないこと分かっているのにね



看護師さんに


お母さんに聞こえちゃう!泣いちゃだめよ!!しっかりしなさい


と叱られました




私の中では、母との楽しい思いでよりも


入院中の出来事が今でも鮮明に思い出されます